ストーリー

会社を作ろうと思ったきっかけは?

都会で一旗あげるという野望

地元仙台の高校を卒業して東京へ上京しました。理由は当時の私自身の考えで田舎の町でやるよりも日本で一番大きい都会で一旗あげてみたいという野望があったからです。パソコンオタクだった関係でパソコンには長けていましたがそれ以外は何も持ち合わせていませんでしたが、志だけは高かったと記憶しています実の父も母も経営者で私自身サラリーマン家庭で育っておりません。なので自由奔放な両親を幼少期から見ており憧れていました。必ず大人になったら社長になる!と心に決めてました。その最初のステップとして東京にある都市銀行に就職しスキルと社会人としてのマナー、礼儀、流儀等を徹底的に叩き込まれました。

エンジニアから営業へ

営業の面白みを知る

基本的な社会人としてのスキルは身に着けましたが、部署異動で人と関わる部署になりパソコンと向き合う時間が減り業務が大きく変わりました。そこで営業的な業務にも携われるようになり営業の基礎を学びました。そこで営業という仕事の面白みを体感してエンジニアよりも営業に興味が沸き転職をきっかけに地元仙台に戻ってエンジニアと営業と掛け持ちでやらせて頂くチャンスに恵まれ、その後営業オンリーとなりました。

フルコミッションの営業へ挑戦

営業成績が日本一に

地元のベンチャー企業で2年ほど色々と経験させて頂き、自分の営業スキルを更に磨きたくなりフルコミッションの世界へチャレンジしました。今でも超有名体育会系営業企業ですが、そこで本当に売れない苦労を味わい辛酸を舐め尽くしました。入社して2ヶ月は数字0が続き本当にもう無理だと思った時に発想の転換が生まれそこから快進撃が始まりました。結果として日本一の営業成績を収めたのですが、そこで無理をしすぎてしまい健康を害して退職となりました。

数々の恩師との出会い

時代へマッチした正しい営業スキルを学ぶ

2000年に独立してその営業スキルを使って販路を拡大していきましたが、当時からある大きな疑問がありました。それは営業とは足で稼ぎぺこぺこ謝るスタイルで、数字に常に追われて上司から詰められることが普通なのか?罵声と怒声を浴びながら数字を作る事が本当に正しいのか?そんな疑問に答えてくれるように数々の恩師と出会い自身の考え方が180度変わり、その新しい時代へマッチした正しい営業スキルを身に着けることに成功しました。この具体名を上げると、営業の神様「桑原正守」「岡根芳樹」マーケティングの神様「田中久雄」、サービスと接遇の神様「黒木安馬」これらの方々から感謝しきれない沢山の学びを頂きました。

ヒューマンスタイルとは?

自己実現を可能にする場所

数々の苦労を重ねましたが、お陰様で20年目に突入しました。紆余曲折ありましたが今は素晴らしいスタッフに恵まれて自己実現を表現する為の場としてのヒューマンスタイルという組織があります。人財教育会社であるからには、自らのスタッフ教育にも特に力を入れております。誰をどこに出しても恥ずかしくないと自負しております。

まずは、お気軽にお問い合わせください