生きる為の人生と死なない為の人生

一見すると似ていますがよく考えると全く異なります。何故ならば一度きりの人生を受動的に生きるか主体的に生きるかの違いだからです

生きる為の人生とは一言で言うと「自分の人生の主人公は自分であると自覚している」事です。自らの意思で判断し決断をして生きていく人生のことを指します。反対に死なない為の人生というのは人生というよりは生活に近い感覚です。これをやらないと生活でいないから働く、あれをやらないと死にそうだからやるという受動的な生き方とも言えるでしょう

どちらが正しいか?という話ではありません。現場には正解がありませんのでどちらも正しいと言えますし場合によってはどちらも間違っている可能性もあります。しかしもし私自身の生き方としてどちらが好きかと問われれば間違いなく前者の生きる為の人生です

もしかすると殆どの人が勘違いしている可能性もあるのですが、自分という人生の主人公はあくまで自分が主体です。決して脇役でもなければましてや裏方ではありません。その根本的な原理原則を知らない、知ろうとしない、拒否する方がなんと多い事か

残念な事にそういう方が多いように感じる世の中になりました。自分という人生においては監督もキャスティングも主人公も自分自身。いわゆるユーチューバーに近い感覚です。自分で自分を撮影し編集し自ら語る

全ての出来事を嫌々やることはどんなに非生産的な事か理解できるでしょうか?仕事も家庭も仕方なくやっている、死なない為にやっているという行為は側から見ていても悲しいものです

以前にも書きましたが自分は周りとエネルギーを合わせる為に3分の1のエネルギーを消費しています。自分だけ浮かない為に、目立ちすぎないように、人から変人扱いされない為に・・・・これでは自分の人生を生きているとはとても言えませんね

今いぢど自分自身の胸に手を当てて聞いてみませんか?自分は自分の人生を生きているのかと

先崎雅和