宿題は何のためにするのか?

宿題は何のためにするのか?

『宿題』と聞くと、条件反射的に嫌悪感を抱いてしまう方は結構いるのではないでしょうか?
そう言っている私もその一人です(笑)

宿題はやりたくないですよね。
何なら授業も愉しいと思える時なんてほとんど無かったです・・・よね?
とは言っても、やはり小学校から授業を受けたことで基礎学力や考える力は確実に身に付いたと実感しています。

と、授業に関しては教育の成果を実感しているのですが、問題は宿敵とも言える宿題なんです。
私はあまり宿題をこなした覚えがないのですが、宿題をやったことで身に付いたことも身に覚えが無いんです。まあーこれは私の責任ですが。

ただ今悔やまれるのは、少しではあっても宿題をやった時間で自分に身に付くものを得られなかったことなんです。あの頃は思わなかったのですが、やはり時間は大切でその大切な時間を生産的に活用出来ていなかった自分がヘボだったなと。

今、私には中学生と小学生の娘が3人おりますが、今は私の時代よりも宿題が増えているように感じます。娘達の様子を見ていると、やはり嫌々宿題をやっているというよりやらされている感じです。
『変わらないなー』と思いながら、ずっと宿題に対し嫌悪感を抱いていました。

この捉え方に出会うまでは。

この出会いによって、小学校からずっと抱いていた宿題への嫌悪感から開放されました!
その出会いとは、私が野球選手としても哲学者としても一流と崇めているイチローさんが小学生から宿題のある意味を問われ際に答えたこの言葉でした。

『宿題は嫌だよね。出来ればやりたくないよね。でもね大人になると、やりたくないことでもやらなきゃいけないことが出てくる。その訓練と捉えることは出来る。やりたくないことをやらないとなると社会で生きていけなくなるから、そのための訓練という捉え方が僕は好き。』

なるほど!!
そう捉えれば、あの苦痛の時間も無駄では無かったと。

これは何事に於いてもそうですが、意味もわからずにやることっておもしろく無いし、何より身に付かないですね。大切なことは、何のためにそれをやるのか?そしてそれをどう活かしていくのかということですね。

あの頃、こういう捉え方が出来ていたならば・・・今の自分はもう少しまともな大人になっていたのではないのかと・・・。

菊地 利行